想像を超えた進化
2012-05-17
珍しい場所でコインランドリーを見つけたので撮影してみました。
小型のものから大型のものまで、しかも靴専用の洗濯機まで揃えられ
いました。
洗濯機の横に目を移すと、案内板があって下の方を良く読んでみると、
「お待ちの時間にご利用ください」
と書いてあります。

ということは、ココは洗濯が目的の場所ではなく、別の用途のついでに
洗濯できるということなのでしょうか?
お待ちの時間に、とありますのでやはり他にも待つスペースがとなりに
ありました。

まるで高級ホテルのロビーのような落ち着いたスペースです。
ここまで思わせぶりの書き方をしてしまいましたが、
「いったいここはどこなのでしょうか?」
答えは、
「トヨタカローラ秋田さんの最新店舗」
です。
今回の新店舗は、

天井に秋田杉の板が、
「これでもか!」
と言わんばかりに吊り下げられています。
そのおかげで、店舗内は杉の香りが満ち溢れた落ち着いた雰囲気になって
います。
工場もご覧のようにピカピカです。

話を聞くと、一台整備する度に、床をしっかりと磨いているのだそうです。
工場=オイルでベトベトという観念はここではまったくと言っていいほど
感じられず、清潔そのものでした。
お客様にとって大事な「愛車」を預ける工場ですから言われてみれば当たり
前のことなのかもしれません。
この当たり前を98点で終わらせるか、120点までこだわれるか、ここが成功
するか否かの分かれ目だということを素で実感できます。
「当たり前のことを想像を超えてこだわれる会社」
のことを人はいい会社と読んだりするのだと思います。
冒頭のコインランドリーも同じですね。
「来店型の営業にこだわっている」
だからお店に来ていただいたお客様に喜んでもらうためなら何でもやる。
そこには、既成概念や常識を存在しないかのような独創性を感じさせて
くれます。
気になるのはお客様の評判ですね。
これは、思った以上に好評なようで、
「カーペットや布団類などの洗濯で困っていた主婦層」
に大人気のようでした。

ちなみに、この車は何だかわかりますか?
「TOYOTA86」
今話題の車です。
とは言っても車好きの中で・・・、という限定つきですが。
しかも、この車に関心があるのは男性が中心(もっと言えば走り屋)なのだと
思います。
私もかつて86好きだっただけに実物を見て大興奮でした。
試乗車は、車好きのおじさまで休日は大盛況ということでした。
でも、車屋さんのお客様は女性ですよね。
購買の意思決定者は圧倒的に女性が主役です。
だから、コインランドリーがあっても不思議ではありませんし、一時間以上の
整備時間中、お店で待ってもらうわけですから、その時間を有効活用してもい
家事の負担を軽減してもらう。
何とも心憎いまでもサービス提供です。
どこまでやるのか?どこまで進化するのか?
カローラ秋田さんの今後も大注目です。
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凄腕の営業マン
2012-05-15
先日、ある商社の方とお会いする機会がありました。この方(以下Aさん)は社内でも伝説になっている凄腕の営業マンで有名
です。
話の一つひとつ、とてもわかりやすくシンプルなのですが、ちょっとした
ひねりが加えられていて、ついつい話しに引き込まれてしまいます。
今回は、Aさんの話で面白かったモノを一つ紹介したいと思います。
「Aさんは、営業ですが何屋さんということになりますか?」
と質問すると、すかさず、
「そりゃあ、あんたと同じ経営コンサルタントだよ」
どういうことなのかもう少し知りたかったので、
「それって、どういうことですか?」
と、もう一度質問すると、
「高橋さんは、コンサルをしてお客さんからフィーとして現金をもらう
商売をしているわけだけど、俺はコンサルフィーの代わりに自分の
会社の商品を買ってもらっているという違いだけだよ」
なかなか迫力がある答えでした。
そこで、すかざす、
「営業マンではないということですか?」
と、しつこく聞いてみると、
「今どき、よほど差別化できる商品じゃない限り、売ろうと思っても
そうそう売れるもんじゃないよ」
ものすごく明確な論理です。
Aさん曰く、
「よく取引後の継続フォローだったり、お客様との関係メンテナンス
が必要だって言うけど、それっと具体的にどうするの?って聞いて
も明確な言葉が返ってこないことが多いということは、ほとんどが
精神論になっているんだと思う」
「結局のところは、お客様の経営コンサルをしていれば、結果的には
継続フォローにもメンテナンスにもなるってことだよ」
ここでもっと聞きたくなってしまうのは、
「そもそも経営コンサルって何をしてるんですか?」
と、聞いてみると、
「お客様の問題に優先順位を付けてあげるだけ」
これもあっぱれなほど明確でした。
昨今の経営環境の中にあって、問題がない会社はいないわけで、
むしろ問題だらけという会社がほとんどです。
そうなると、企業の本当の問題は、問題があることではなく、問題が
たくさんあって優先順位を自分たちで決めれない、ということ自体が
問題になる場合があるということだと思います。
ここで思い出したのが、
「営業はお客様の話を聞きすぎてはいけない」
ということです。
誤解が生じてしまいそうな表現なので補足すると、
「聞きすぎてはいいけない」
というのは、たくさんお客様の話しを(問題)聞いて、ただ鵜呑みに
して持ち返ってくるな、という意味です。
もっとひどい場合には、最初の問題を聞いた段階でくらいついてしまい、
そこを中途半端に掘り下げてしまって、このことだけを問題として勝手
に定義してしまう。
ということもありますので要注意です。
昔、営業研修を受けたことがあって、
「他に何かありませんか?」
という問いかけは大事だ、ということを教わったことを思い出しました。
「営業マンは結局は人だよね」
という論理のようなものが正当性を含んでしまうことがありますが、
「経営コンサルをやって対価として商品を買ってもらう」
このくらいまでやれてはじめて、
「営業は人だ」
と言えるのかもしれませんね。
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身近にある商いの学び
2012-05-13
近所のスーパーで面白いモノを見つけました。
「日清のカップヌードル」
は誰もが知っているし、一度は食べたことがある国民食のような
存在ですが、このカップヌードルは、
「詰め替え用」と「マイヌードルカップ」
以前から販売されていたようですが、店頭に置いてあるのを見た
のは初めてでした。
先ず、最初に感じたことは、
「これって本当に売れるの?」
という素朴な疑問でした。
コンセプトは、
「楽しく食べてエコスタイル」
楽しいというのは、自分専用のカップを自分なりにアレンジできる。
エコというのは、詰め用なのでコンパクトでゴミが少ない、カップは
洗って何度でも使えるということでした。
言っていることはわからないでもないのですが、肝心の、
「買いたい!」
という気持ちになれないのは私だけでしょうか?
そもそも、カップヌードルで楽しみたいとは思えませんし、カップヌー
ドルでエコというのもピントが外れているような・・・。
ちょっと押し売りというか、エコだけに売り手のエゴのようにも感じて
しまいます。
こんなことを書いてしまって、大ヒットにでもなったら坊主頭にでも
しないといけませんね。
これとは、対照的に、
「買い手の買いたいという気持ちを刺激してくれる」
のが近所の世田谷観音の朝市です。
朝早起きして、朝市に到着したのがAM6:15でしたが、既に買い物客で
大賑わいでした。

採れたてのの野菜がどんどん運び込まれ、どれもがみずみずしくて眠気を
吹っ飛ばしてくれるほど美味しく見えます。

何軒ものお店が出展しているようなのですが、あきらかに買い手が列を
なしている店とそうでもない店があります。
そうでもない店は、こんな感じです。

置いてある、ネギ、玉ねぎ、ジャガイモはきっと鮮度抜群で美味しいので
しょうが、どうにもこうにも店づくりの雑さが気になってしまいます。
これに対して、どんどん売れている店は、
・店が片付いていてキレイ
・商品がしっかりと整理されて陳列されている
・お店の人の元気がよく、お客様とのコミュニケーションが活発
いくら朝市という冠がついても勝手に売れるわけではなく、やはりそれなり
の努力が必要なのだと思います。
一通り、商品を見て回ったのですが、値段はどこも一緒のようでした。
モノをつくって販売するという商売をしている限りは、やはりそのモノを
売りたいわけです。
例えば、大根を生産したのですから、当然のことながら大根を売りたいという
のは必然だと思います。
ただ、「売りたい」で終わったのでは商売としては、まだ半分なのかもしれま
せん。
朝市で一番買いたいと思った店は、高齢のおばあちゃんのお店でした。
大根やネギがさりげなく大きさ別に整理して陳列してあったり、その大きさ別に
細かく値段が設定されていました。
しかも、商品を覗きながら選んでいると、
「お薦めはこれだよ」
と声をかけてくれたたり、この時期の大根はこんな料理にすると美味しいとか、
色々と教えてもくれました。
こういった接客から、おばあちゃんの商品に対する誠実さを感じてしまいました。
それは、「作ることが大変だった」
という生産者側の意味合いもあると思うのですが、買い手に、
「美味しく食べて欲しい」
という思いも同じようにあるのだと思えました。
作り手側の論理と買い手側の論理という分かれた概念は存在せず、一緒の概念に
なっている。
こんな商売が出来ると繁盛できる。
そうなれば、当然のことながら売り手も売れて満足、買い手も買えて満足という
誰にとっても幸せな関係を生み出していけるのだと思います。
やはり商売は人次第ということでしょうか。
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ビジネスは社会を変える
2012-05-10
月刊誌、日経トップリーダーのプレミアム会員特典で、「会報誌マンスリー」
という小冊子が付いて、2012年5月号に興味深いタイトルがありました。
「発見!元気印企業 質の高い保育サービス」
私が住んでいる東京都世田谷区の保育事情を一言で表現すると、
「過当競争社会」
先日、世田谷区役所に問い合わせてみると、保育園への入園倍率は何と、
「約10倍」
入園できない人たちはどうなるのですか?と聞いてみると、
「申し訳ありません」
という答えになっていない言葉が返ってくる始末でした。
まもなく、誕生する我が子の近未来がとても不安になりますし、夫婦共働き
思考の我が家のライフプランにも不安がよぎってしまいます。
少し、横道に反れましたが、会報誌の記事を読んでみると、
アイグランという「事業所内託児所と認可保育園」の保育事業を運営してい
る会社が紹介されていました。
常勤の保育師は全て正社員として雇用し、サービス品質を高めながら、給食
の安全性、Webカメラの設置など、
「利用者の保護者に満足してもらえる」
ことを実践し100ヶ所以上の運営実績を誇るまでになったそうです。
最初は、
「こんな保育園が近くあったらいいなぁ」
なんて能天気に記事に目を通していたのですが、会社概要の詳細を見た途端
強烈な違和感に襲われてしまいました。
・売上高20億円
・従業員850人
この数字を見て、瞬間的に行動してしまったのは、
「割算」
売上を従業員数で割ってみると、一人当たりの売上高は235万円になります。
保育事業は労働集約型のサービス業ですから、売上に占める付加価値の割合
は大きいので、一人当たりの売上はメーカーなどと比較すれば低いのは当然
なのですが、
「これで本当にタイトルの通り、元気印でいられるのか?」
という疑問がどうしても脳裏をよぎってしまいます。
保育園ですから、延長保育などもあり労働時間は決して短いということは
ないのだと思います。
しかも、ほとんどが正社員です。
いったい、保育士さんの平均年収はいくらなのでしょうか?
ひいき目に見積もっても200万円だとしても、これより多い人も少ない人
もいるはずです。
最近では、男性の保育士も珍しくはありません。
そうなると、考えてしまうのは、この年収で長く働き続けることは可能
なのだろうか?
お金のためだけに働いているわけではないと思いますが、将来設計が描け
るのか心配になってしまいます。
首都圏にも進出しているようなので、生活コストは当然のことながら本社が
ある広島よりも高くなります。
保育事業をはじめて、まだ10年ということなので若い保育士さんが多いという
背景もあるのかもしれませんが、そさらに10年先にはどうなってしまうのか?
疑問は増すばかりです。
保育事業は、子供数名に対して保育士一人、という感じできめ細かなサービス
を行おうとすれば、保育士一人当たりの子供の数は限られてきます。
保育園代金を無制限に上げていくことは難しいでしょうから、保育士一人当たり
の売上も限界が見えやすいのも労働集約型のサービス業の特徴なのかもしれません。
収益性という一つの物差しで見た場合は、事業主側からの魅力は決して高くない
ことが、特にコスト高の必然性が高い首都での慢性的な保育園不足の原因の一つ
だと考えられます。
ビジネスで成功する保育事業者が増えていけば、
・事業が継続することで安定した雇用環境が整備される
・この事業に参画する事業者が増える
補助金などで、損失の補てんするなどして事業者を増やすことも可能でしょうが、
自力で創出していないものは継続性という面で不安定要素となります。
アイグランさんのような元気印企業がビジネスとしてしっかりと成功してもらう
ことが、私の地域のような過当競争社会を解決してくれる希望だと思っています。
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妥協が生みだす新しい答え
2012-05-08
「一人の意見で物事を決めていくよりは、多様な意見を尊重していく方が総合力が発揮される」
高度成長期なら否定されることもあったこの考え方は、今ではすっかりと
主流になりつつあるのか、共感されることの方が多くなっているような感触
を持っています。
ただ、実際にこのような場面があったとき、この考え方を実践していく
ことは口で言うほど生易しくない現実が待ち受けています。
例えば、主体的な人が5人集まって何らかの議論をしているシーンがあると
します。
この5人は、主体的な人なので、それぞれ自分の意見を持っています。
自分の意見を持っているということは、その意見は5人それぞれ同じとは限ら
ないわけです。
しかも、主体的ということは、容易には譲れない原則のようなものが存在して
いる可能性が高くなります。
そうなると、当然のことながら議論は議論でも意見を戦わせるというような
主張が強くなり、衝突とも感じられるような場面が出現します。
生易しくない現実というのは、まさにこういった場面のことで、せっかくの
建設的な議論のはずが、逆に不仲を招いてしまうのでは、という不安が襲って
きます。
そして、その果てには、
「意見を集約できないのでは・・・」
この一言に尽きると思うのですが、必ずと言っていほど立ちはだかる壁が
ここにあるように感じます。
私も、日々自社の中ではこのような場面にさらされることが多く、体調が
悪かったり疲れていると、
「主体的な意見を押し込めてしまいたい」
という誘惑が襲ってくることがあります。
これではいけないと、懸命に我に問いかけながら自分のとの戦いの連続
というのが私にとっての現実です。
それでは、主体的な意見をどうやって集約していくのか?
こういったことの道標になる古典的な考え方が、
「止揚」
「アウフヘーベン」
「創発」
どれも同じような意味合いで、意見と意見のぶつかり合いの中ら新しい
答えを創っていくという考え方です。
「優劣」
「成否」
「正しい間違い」
という二者択一ような選択とはまったく違ったものですね。
ただ、新しい答えを創っていくというのも、決して容易なことではあり
ませ。
一人ひとり、「主体性」というものに行き過ぎが生じてしまうと優劣の
ような選択の集約につながりやすいようです。
行き過ぎたというのは、
「容易に譲れないという原則の範囲が広すぎる、細部にまで行きわたって
しまっている」
という状態です。
ある人から教わったことですが、
「降伏する」と「妥協する」は違うというのです。
降伏というのは、容易に譲れない原則を容易に譲ってしまうことで、
妥協というのは、譲ってもよいと決めたことを譲る、
ということなのだそうです。
こういった意味での妥協が大事で、原則が広い範囲という細部まで
原則を押し通すというのは協調や協力を阻害してしまう、主体性では
なくただのわがままということになります。
私の経験では、
新しい答えを創れるのは、お互いに原則を維持しながら妥協ができた
ときだと思っています。
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