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自分を常に半分以下に位置付ける

2013-02-07
最近、意識的に行っている思考習慣があります。

それは、

ある全体像があったとするなら、自分というものを半分以下に位置付ける
ということです。

全体像に自分を重ね合わせすぎると、空きが無くなってしまうので、自分
以外のものを受け入れ難くなってしまいます。

この空きは、

・自分だけでは埋められない不足部分を前向きに認識する

→頼りやすなる

・自分の考えは半分は間違っている可能性があると前向きに疑う

→異質なものを取り込みやすくなる

以前の自分は、頑張ろうとするがあまり、自分ができることを無意識に
全体像として定義してしまう傾向がありました。

その結果として、成果はどうしても限定された極小のものになっていま
した。

どうしても、出来ないこと、不足していることを認めると、自分の存在
意義までもが低下していくような錯覚に陥っていたのかもしれません。

「自分は凡人なんだ」

と開き直って、

「凡人だけど、大きな成果を上げるにはどうしたらいいか?」

と考えていると、

「偉大な人間になりたいということと大きな成果を上げるということは
 違う次元のことだ」

ということにやっと気づくことができました。

自分は偉大な人間になりたいわけではありませんから。

こんな話を少し前にある人と話していると、

「成長するっていうことは、全体像に自分を近づけることなんじゃないの?」

という質問を受けました。

この質問にはちょっと悩んでしまったのですが、

「成長しても、全体像の半分ということに変わりはないよ」

と返答しました。

成長するということは、全体像を広げることだと思ったからです。

間違って不足を埋めようとすると、自分は成長したつもりでも、成果は変わら
ないですし、もしかすると、成果は低下する危険性があるのではないかと思っ
ています。

自分一人でできること以上の成果を出せる枠組みが組織であり、会社ですから、
不足感を認識しているほうがいいと思うのです。

「違い」

というものを善悪というモノサシで図ってしまう行為は、絶対的な唯一無二の
答えが存在する(算数など)世界だけで通用する考え方なのではないかと思っ
ています。

この世界は、ほとんど神と悪魔というレベルに近い、実存しないことなのかも
しれません。



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