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イチロー

2013-02-14
昨日のイチローへのインタビュー記事は、考える材料の宝庫でした。

※日本経済新聞2013年2月13日39面

仕事の対価をもらって働いている人は、定義上は誰でもプロフェッショナル
ということになりますね。

その反対がアマチュアということになるのでしょうか。

イチローのプロフェッショナル観に接すると、刺激という感覚だけではなく、
怖さすら感じてしまうのは私だけでしょうか?

イチロー=ストイック → だから特別な人

という構図をついつい持ち込んでしまいそうになります。

自分にはそれほど自信がありませんから。

ただ、これだと学ぶべきところが学べなくなってしまいますから、必死で
食らいついて出来る限り多くのことを学びたいという気持ちもあるんです。

気になったところをいくつか紹介したいと思います。

「ファンは勝つことだけでなくプロフェッショナルなプレーを見たがって
 いる」

「『何かのために』は聞こえは良い。でも時に思いあがっているようにも
 思える。人間関係においても言えることだが、誰かの『ために』やろう
 とすると厄介な問題になることがある。しかし、誰かを『思い』何かを
 することは、見返りを求めることもなく、そこに愛情が存在しているか
 ら不幸になることが少ないように思う」

確かに、私が愛息子を思う気持ちと一緒です。

思える人が多ければ多いほど、幸せになれる可能性は高くなるということ
なのでしょうね。

「努力すれば報われると本人が思っているとしたら残念だ。それは自分以外
 の第三者が思うこと。もっと言うなら本人が努力だと認識しているような
 努力ではなく、第三者が見ていると努力に見えるが本人にとっては全くそ
 うではない、という状態にならなくてはないのでないだろうか」

「子供の時の感覚で楽しくて好きでいたいのならプロになるべきではないだ
 ろう。もちろん、違う種類の楽しみややりがいはたくさん生まれるが、
 プロの世界では楽しい時など瞬間にすぎない。ほとんどはストレスを抱え
 た時間だ。しかしその『瞬間』のために、ありったけのエネルギーを費や
 していく。その中で人間構築をしていかなくてはならないと考えている」

どうでしょう、このプロフェッショナル観。

自分を重ねれば重ねるほど、

「そうだよね!」

と気安く同調できない厳しさですね。

「年俸が高いんだからこのくらい厳しくて当たり前だよ」

という見方もあるのでしょうが。

年俸の多少ということだけでは片づけられないようにも思えます。

ちなみに、イチローの年俸は、

・6億5,000万円(2014年ヤンキース)
・18億円(2012年マリナーズ)

私の年俸はイチローの1/100以下ですから、それならイチローの1/100以下の
プロフェッショナル観でいいのか?

それはやはり違うのだと思います。

年俸よりも自分をプロとして認められるかどうかという問題なのかもしれません。

「仕事を楽しむ」

「仕事のやりがい」

「働きがい」

これをどこに求めるのか?

イチローが言うように、仕事の中でストレスを感じる場面があります。

このストレスから逃れ楽しみに変えたいと思うのも人間の当たり前の欲求のよう
にも感じます。

ただ、このストレスを逃れた先に楽しみが本当にあるかと言えば、

「青い鳥」

の世界ように、幻の世界なのかもしれません。

このストレスを受容して、瞬間の楽しみのために全力を尽くす。

確かに、自分の力で確実に楽しみを増幅させることができそうです。

こういうことを、楽しみ、やりがい、はたらきがい、にしていくことはとても
主体的な行為だと思えてきます。

私はイチローにはなれませんが、プロフェッショナルではありたいと思ってい
ます。

この記事をはじめに読んだときは、

「やっぱりイチローは常人ではないな・・・」

と思ってしまいましたが、何度も読んでいくうちに、

「やっぱりイチローも普通の人間なんだ」

と思えたんです。

ストレスを抱えていたわけですから。




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2013-02-13
スコラ・コンサルトの顧問司法書士のO先生と将来の資本政策に
関する打ち合わせを行いました。

「スコラ・コンサルトを最も開かれた会社にする」

というコンセプトで、2015年3月スタートを目標にしています。

コンセプトはあっても、具体論はまだまだなんですが・・・。

ここで挑戦したいことはいくつかあって、

①新しい経営継承のスキームを自らが率先して実行することでつくること。

②資本主義と民主主義の新しい統合の姿をつくること。

③常識的な会社という垣根を限界まで取り払い、新しい参画型の会社をつくること。

世の中にとって「使いやすい」「付き合いやすい」「活用しやすい」会社にするこ
とが目標なんです。

こういうことを考えていると、どうしても既存の枠組みにぶつかってしまいます。

例えば、会社法とか・・・。

最近、よく考えるのは、

「会社って何なのか?」

そもそも、会社や経営ってこういうものだ、という常識。

会社法など、既存のルールや法規制。

こんなことを考えていると、いつのまにか会社という枠組みの中にどっぷりと浸かっ
てしまい、知らず知らずのうちに会社というものに使われてしまっている。

こんな状況は決して健全なことではなく、

「会社に使われるのではなく、会社を使う」

ということがとっても大事なことだと思うようになります。

真に革新的なことをやり遂げるには、真に革新的なやり方を持ち込む。

結果とプロセスは表裏の関係にありますから、当たり前のことですね。

新しい課題に直面した時、先ず考えるべきは、

「何を考えたら考えたことになるのか?」

という問いを自分自身に向けることを大事にしています。

数年前にスコラ・コンサルトの経営継承に関わった時、何を考えたらいいのか?
まったくわかりませんでした。

はじめてのことですから当然ですね。

最初は、自力で何とかしようと努力しようとしたのですが、そもそも考えるべき
論点や視点すらわからず右往左往してしまったのです。

先ずは、考えなければならないことをリストアップする必要があることに気づき
ました。

そこで、頼ったのが、弁護士さん、弁理士さん、税理士さん、司法書士さん、
社労士さん、という顧問の先生方でした。

各方面の専門的な知見からアドバイスを仰ぐのですが、例えば、税理面のアドバ
イスと法務面のアドバイスには両立できそうにない矛盾が生じたりもしました。

あっち立てれば、こっち立たず・・・。

最初のころは、こういった場面が起きると思考に混乱が生じてしまうこともしば
しばでした。

「アドバイスは、あくまでもアドバイス。最後に答えを出すのは責任者である
 自分だ!」

と気づいてからはずいぶんと楽になりました。

専門家の先生方は、主にリスクの面を強調してアドバイスをしてくれます。

アドバイスは、答えとして受け取るのではなく、論点や視点を受け取る。

アドバイスの内容は、あくまでも参考意見として受け取ればいいのだと思って
います。

例えリスクをつぶせなかったとしても、それよりも得たいものがあるのならば、
己の信じた道を突き進めばいい。

ただし、論点や視点自体に漏れがあるのは禁物だと思っています。

後になって、考えていなかったということになると、対応が難しいですね。

何をもって、漏れの有無を図るのかは難しいところなんですが、自分以外の
違った立場の人の意見を出来る限り多く集めるしかないのだと思います。

「違った立場」

というのがとっても大事なことですが、心理的な抵抗は思ったよりも大きいと
いうのが人間の自然な姿なのだと思います。

「違った立場=自分の意見と反する立場」

だからです。

反対意見を好き好んで聞きたいとはなかなか思いませんよね。

それでも、ここを聞けるかどうかが、全体感形成のポイントだとすると自分と
向き合えるかどうかが大事な能力ということになってくるのだと思います。

今回の打ち合わせには、司法書士の先生とスコラ・コンサルトの財務・法務責
任者のYさんにも同席してもらいました。

先生には、事前に、

「あえて反論も含めた、厳しい意見をお願いします」

とお願いしいますし、日頃からスコラ・コンサルトのYさんには、

「リスク面、対立軸を出すことが役割であり、期待だ」

と伝えています。

こんなことを十分に理解してくれているのか、厳しい意見のオンパレード。

ちょと、いらっとしたり、不機嫌になりそうな場面もありました。

これは、不完全な人間なので、当たり前ですね・・・。

打ち合わせを終えて、改めて感じるのは、

「味方として意見」

ということでした。

賛成意見は、味方でなくても提供してくれますし、考えなくても出来ることです。

異論、反論などは、味方でなければ、考えること自体が難しいことですし、面と
向かって提供することもは難しいことですね。

味方づくりは、異論、反論をお願いして、感謝することなのかもしれませんね。





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お金って汚い?

2013-02-10
先日の日経新聞で、

「お金ってきれいなものですか、それとも汚いものですか?」

という質問に、全国の中学生、高校生500人の8割弱が、

「汚い」

と答えたという話に、愕然としてしまいました。

中学生、高校生ですから、基本的には親のお金で生きている人たちです。

親は、愛する家族の幸せのために、懸命に努力しながらお金を得ている
はずです。

子どもたちは、その親が稼いでいるお金を汚いと思っているということ
なのでしょうか?

もしも、そうだとしたら親にとっては寂しい限りです。

何のために、お金を稼いでいるんだかと・・・。

お金自体が目的ではないということを教え伝えることは大事なことですが、

「お金は大事なものだ」

ということを教え伝えることも大事なことだと思っています。

お金というのは、そもそも何なのか?

お金というものはどこからどのような経緯で生まれたのか?

お金がどんな役割を果たしてきたのか?

など、お金の真意を子供時代から学ぶことが必要なのではないでしょうか。

お金には、

「もらい方、使い方」

という側面があります。

このどちらの側面を見て汚いと思ってしまったのかは定かではありませんが、
大人がお金に振り回されたり、使われてしまったり、子供の目から健全には
見えなかったのでしょう。

世界有数のお金持ちである日本人が、お金で苦労している。

何とも不思議な現象ですね。

日本の企業社会でも、

「月初は顧客第一、月末は売上第一」

というこちらも摩訶不思議な現象が日常的に繰り広げられています。

こういったことをおかしいと思っていれば救いようがあるのでしょうが、
おかしいことだと思っていない人もいるので重症です。

そもそも、こういった会社では、

・売上って何なの?

・顧客満足って何なの?

ということを真剣に考えたことがないのかもしれません。

考えれば、統合できるものだとわかるはずです。

・日本の低成長

・ニートなどの若者の労働観

お金に端を発して、仕事、ビジネスも、

「汚いこと・・・」

という価値観が蔓延しているのかもしれません。

真意を理解してお金と上手に向き合い、付き合っていく。

こういうことができずに、本当に幸せになれるのでしょうか。






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自分を常に半分以下に位置付ける

2013-02-07
最近、意識的に行っている思考習慣があります。

それは、

ある全体像があったとするなら、自分というものを半分以下に位置付ける
ということです。

全体像に自分を重ね合わせすぎると、空きが無くなってしまうので、自分
以外のものを受け入れ難くなってしまいます。

この空きは、

・自分だけでは埋められない不足部分を前向きに認識する

→頼りやすなる

・自分の考えは半分は間違っている可能性があると前向きに疑う

→異質なものを取り込みやすくなる

以前の自分は、頑張ろうとするがあまり、自分ができることを無意識に
全体像として定義してしまう傾向がありました。

その結果として、成果はどうしても限定された極小のものになっていま
した。

どうしても、出来ないこと、不足していることを認めると、自分の存在
意義までもが低下していくような錯覚に陥っていたのかもしれません。

「自分は凡人なんだ」

と開き直って、

「凡人だけど、大きな成果を上げるにはどうしたらいいか?」

と考えていると、

「偉大な人間になりたいということと大きな成果を上げるということは
 違う次元のことだ」

ということにやっと気づくことができました。

自分は偉大な人間になりたいわけではありませんから。

こんな話を少し前にある人と話していると、

「成長するっていうことは、全体像に自分を近づけることなんじゃないの?」

という質問を受けました。

この質問にはちょっと悩んでしまったのですが、

「成長しても、全体像の半分ということに変わりはないよ」

と返答しました。

成長するということは、全体像を広げることだと思ったからです。

間違って不足を埋めようとすると、自分は成長したつもりでも、成果は変わら
ないですし、もしかすると、成果は低下する危険性があるのではないかと思っ
ています。

自分一人でできること以上の成果を出せる枠組みが組織であり、会社ですから、
不足感を認識しているほうがいいと思うのです。

「違い」

というものを善悪というモノサシで図ってしまう行為は、絶対的な唯一無二の
答えが存在する(算数など)世界だけで通用する考え方なのではないかと思っ
ています。

この世界は、ほとんど神と悪魔というレベルに近い、実存しないことなのかも
しれません。



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働くママの厳しい現実

2013-02-05
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世田谷区子ども部 保育課入園係から封書が届きました。

ドキドキして封を切ってみると、

「平成25年4月入園 ○○鳩ぽっぽ保育園 0歳くらす 内定」

共稼ぎ夫婦を志向する我が家にとっては、保育園に入園できるかどうかは、
とても重要なことでした。

そもそも、世田谷区は超がつくほどの激戦区です。

今回の4月入園の選考結果は、

・申込者数 4,986名
・入園可能数 2,395名

ということですから、約半数は入園できないことになります。

比較的0歳クラスは入園の可能性が高いようなのですが、1歳クラスは0歳からの
持ち上がりが多いので、枠自体が少ないのです。

世田谷区の場合は、0歳で保育園に入園させないと、1歳からでは入園できる保証
は限りなく低くなるということは、この地域に住むパパママなら誰でも知ってい
ます。

我が家の場合は、5月末の生まれなので、今年の4月には約10ヵ月になるので、
入園にはそれほど心配はないのですが、冬に生まれた赤ちゃんは4月の時点で
まだ2~4カ月なので次の年の4月、1歳クラスになってしまう可能性が高くなり
ます。

4月入園にこだわらず途中でも入園させたらいいんじゃないの?

という意見もあるようですが、

途中入園の可能性はほとんどありません。

実際、我が家でも妻の早期職場復帰のために、私立の保育園も含めて可能性を
探りましたが、

「40名待ちですよ」

というのが普通であきらめてしまいました。

そうなると、ベビーシッターさんに頼むことになるのですが、

1日預かってもらって、15,000円くらいになっていしまいますので、負担感は
相当なものです。

1歳クラスを希望しているママたちの多くは、会社に育児休暇延長を申請してい
る人が多く、4月に入園できないとなると途方に暮れる思いだということでした。

会社側としても、いつまで待てばいいのかわからないので対応しにくい面がある
のだと思います。

日本の労働力が不足しているという問題もありながら、優秀な女性が育児環境が
整わないばかりに働けないという現実が身近に存在しています。

これは社会的な損失ですよね。

激戦の保育園と対照的に、幼稚園はガラガラだということなのです。

働くママにとって幼稚園という選択肢は取りづらいですね。

14:00ごろに帰ってきてしまうのでは子供を引き取れませんよね。

こういった点からも、総合子供園という考え方は理にかなっているんですが、
なかなか進展はみられません。

話は変わって、

いよいよ我が子も4月には保育園生になるわけですが、それを機に密かに考え
ていることがあります。

きっと保育園にも父母会のようなものがあると思うのですが、積極的に参加
したり、役員なんかにも積極的に立候補しようかと思っています。

保育園だけに限らず、地域を良くしていく当事者として、手を挙げ積極的に
活動していきたいと思っています。

これは、会社と一緒で、一人では微力ですが、仲間を集めてコアネットワーク
なんかも実践していき、

「いい保育園づくり」

なんかに挑戦していきたいと思っています。

4月以降は、このあたりの奮闘記もこのブログに書いてみたいと思っています
ので、応援してくださいね。




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